松田聖子と中森明菜 |
「松田聖子と中森明菜」、1980年代圧倒的に支持された二人の「歌姫」をオタク的に分析した実におもしろい本だった。
この本に、僕が共感するのは、同時代に大学生であり、独身の社会人であり、歌謡番組常連の二人の「歌」には、常に興味を示し、覚えていた。まだ、カラオケブームの前の段階であったが、TBS「ベストテン」は、世の歌謡事情を教えてくれる欠かせない番組だった。広告の世界に進もうとしていた僕にとって、こういうミーハー的で、時代を映す「歌謡番組」は、最高のネタだった。
この本では、松田聖子と中森明菜を時系列的に分析している。それぞれのプロダクションやレコード会社の思惑や製作現場つまり曲や歌詞などの戦略や思想なども、詳しく記述されており、その歌や背景を知る者にとっては、興味深い本だ。つまり、両者のすべての歌がわかる世代であるが故、理解でき、頷きながら、そしてニヤニヤしながら読める。そして、突然と歌い出す僕がいた。
アイドルを自覚して演じ、虚構の世界を謳歌する松田聖子。生身の人間として、唯一無二のアーティストとしてすべてをさらけだす中森明菜。相反する思想と戦略をもった松田聖子と中森明菜。商業主義的「儲けの世界」がすべての芸能プロダクションやレコード会社やそれを取り巻く作詞家や作曲家などの背後の世界を「主役」の二人は、いかに受け入れ、そして時には拒絶し、いかにして生き延びていったかを上手くまとめ上げている。
松田聖子は、今でも「生き方」が素敵と女性からその、奔放的な生き方を評価されている。それに対し、85年「ミ・アモーレ」、86年「DESIRE-情熱」で二年連続レコード大賞を受賞した中森明菜は、この頃が絶頂期だった。彼女には、虚構と実人生のバランスが取れなくなっていたのだろう。不幸や孤独をテーマに楽曲や歌詞がつくられ、あくまで歌の中だけのイメージづくりのはずが、繰り返しているうち、実人生にもそれが、侵入し混乱し始める。中森明菜は、二つの人格に引き裂かれてしまった。1989年近藤真彦のマンションで手首を切って、自殺未遂事件である。それは、蒲池法子が「松田聖子」というアイドルや女になりきり、実生活と離し、逃げ場を持った「虚構の世界」を演じたのに対し、中森明菜は、芸名を拒否し、本名で貫き通し、あまりにもすべてをさらけ出しすぎた正直さが招いた結果であると考える。
著者は、蒲池法子(後に神田法子)が、「松田聖子」との間に常に距離を持てたのは、本名とは全く違う芸名を持っていたからだと断言している。彼女は、本名と芸名を使い分け、松田聖子を演じきっていた。そして、蒲池法子が演じている芸能人「松田聖子」が、さらにアイドル「松田聖子」を演じていた。そういう二重、三重の構造にあったために、松田聖子は、数限りないスキャンダル攻撃を受けても耐えられたと分析している。つまり、攻撃されているのは、「松田聖子」であり、蒲池法子ではなかったという論法である。そこが、中森明菜との最大の差であろう。
松田聖子の世界を演出したというべきプロデューサーは、紛れもなく「松本隆」である。彼が、80年代松田聖子の作詞を担当し、その「意味のない」世界を意図的に作り出す。そしてリリースした15曲すべて、コントロールしていく。その歌詞には、「あなた」と「わたし」しか出てこない。彼女は、歌唱力という財産を活かし、彼の歌詞の意味も考えず、感性で歌っていった。松本隆とのベストパートナーは、作曲家のユーミンであった。ユーミンお墨付きの歌手としての地位も築いていく。
それに対して、中森明菜の場合は、欲張りすぎた。様々な有名作詞家、作曲家と組んで、聖子に追いつこうとしていたため、曲のイメージに、常に「不幸」や「孤独」に固執し、明菜のイメージを作り上げていく。彼女は「笑わない」歌手としての「虚構」に耐え切れなかったのかもしれない。
1989年に人気歌謡番組「ベストテン」が終了し、歌謡曲の時代、アイドルの時代に終焉を告げる。また、レコードの時代もこの年役目を終えようとしていた。彼女らの絶対的ファン層も、30歳前後になり、家庭を持ち始める頃に達しようとしていた。その80年代に最も輝き、歌謡史に金字塔として残ったのが、松田聖子と中森明菜だろう。
今、松田聖子は、二度の離婚を経て、娘SAYAKAもハタチに成り、ママドルも脱し、自由奔放に人生を楽しんでいるように映る。松田聖子は、47歳になったが、いつの時代も「少女」を演じている「化け物」だ。もはや、カリスマの域に達している。
中森明菜は、43歳になった。まだ「独身」である。でも、完全に以前の「不幸」な明菜ではない。完全に吹っ切れた。僕は、これから、中森明菜がもう一度輝く時代が来ると密かに予想する。そういった過去を捨て、羽ばたこうとする彼女の今のスタンスは、世の女性からきっと評価されるからだ。しかも、「正直」で「健気」である。80年代輝いていた時代を知っているファンは、そろそろ子育ての時期を終えようとしている。もう一度、中森明菜の上手い歌唱を聞いてみたいとも思うし、彼女の計算されない一生懸命さを見抜いている世代が、新しい中森明菜に期待を寄せるという図式が、僕には見えるからだ。
GET UP GET UP GET UP GET UP burning heart (DESIREより)