すべての創造は一人の人間の熱狂から始まる |
ウチの小学校の息子は、東京のおばに遊びに行った。
僕は、連休は稼ぎ時で、毎日会社となる。張り切って、頑張りたい。母の日(5月10日)までは、休みも取らず、フル回転だ。自営の宿命だ。
今日は、5月2日「コニーの日」KONY’S DAYだなんて、カレンダー見てひらめいた。5月は、そういう語呂が多い。
例えば、5月16日は「コーイチロー」の日、5月21日は「コニイ」の日、5月23日は「コニーさん」の日、さらには5月24日は「コニシ」の日、いろいろと数字遊びで、楽しめる。僕の野球のユニフォームの背番号が「524」であるが、わかりやすく「52」の方が、愛称ぽく、まともな選手にみえるかもしれない。ま、遊びである。背番号のほうが、プレイより目立っているかもしれない。でも、必ず「あいつは、何者だ」といわれているらしい。
今年のGWは、徹底的に本を読むこと、会社の企画・戦略を練り直すことに集中する。
早朝は、この期間中5冊の本を読むことにした。
今朝、3時間30分かけて、僕の尊敬する経営者のひとりである「幻冬舎」社長である見城徹の「異端者の快楽」(太田出版)という本を読み上げた。この本は、2度目の読破で、刺激的な本である。
日本の出版業界においての、「異端児」とも「カリスマ編集長」とも「出版界の風雲児」とも呼ばれる、見城徹のスピリットとパワーあふれる、自虐的な本である。
今日のタイトルにも書いたが、「すべての創造は、一人の人間の熱狂から始まる」とあるように、彼の行動は、ひとつの「なんとしても成し遂げる」という執念なしでは語れない。
そして、「圧倒的努力は、岩をも通す」と本人が主張するように、「ここまでやるか」といった信じられない「努力」の積み重ねなのだ。ここまでやるから、誰もが彼を認め、信頼するという過程がわかる。
彼は、僕が好きな一人である角川春樹に最も可愛がられた部下であり、優秀な編集者であったが、「角川書店」を大きく数字を伸ばした「圧倒的な努力」を紹介したい。
彼は、ヘソ曲がりである。角川書店に入社したとき「角川書店だから仕事をしよう」という人とは、絶対仕事をしないと決め、「角川書店とは仕事しません」という人と仕事をしようと決めた。つまり、上司や先輩がいくら行っても、絶対に原稿をくれない人と仕事をすると宣言。その代表例は、五木寛之であり、石原慎太郎という当時の大流行作家だった。
五木寛之へのアプローチは、すさまじいものがある。五木寛之が発表する小さなエッセイ、小説、週刊誌の対談、書き下ろしなどすべてのものに手紙を書いた。それも、すべて(50冊くらい)の五木作品を全部読んだ上で、感想を書く。本人が気付かないところの指摘や、ここは指摘してほしいなと思っているポイントを褒めたりしながら、相手に刺激を与えるような文章で、2日間くらい徹夜をしながら、長い手紙を出し続ける。
やっと17通目で、本人から「いつも作品読んでくれてありがとう」と葉書をもらう。そして25通目で、「お会いしましょう」との返事をもらう。このときには、五木寛之は、見城徹を「自分を理解してくれている」と認めている。はじめてお会いしたときも、まるで長い知り合いのような感じだったと述懐している。その後、五木寛之は、見城の角川書店からも小説を出版するようになる。「燃える秋」はその後、映画化もされ、角川書店に大きな利益をもたらした。
石原慎太郎の場合は、痛快だ。何度も手紙を書き、事務所にも通ったが、最後はいかに石原文学を読んでいるかを示すパフォーマンスだった。「太陽の季節」や「完全な遊戯」などを、数百回以上読み込み、暗唱するくらい読破し、石原本人の前で、短編を暗唱した。「おまえ。そこまでやるのか」と脱帽したというエピソードがあり、幻冬舎の大ブレーク作品となった「弟」を、「見城と組んで出版する」と言わしめた。
圧倒的努力をして、不可能を可能にしていき、その人に近づいていく。そのためには、七転八倒して血反吐を吐くような仕事をしない限り、大きな成果は得られないと彼は、断言する。「そこまでやるのか」という、想像を超える努力や勉強や行動は、確実に人を動かす。
この本の帯には「すべての創造は一人の人間の熱狂から始まる-圧倒的努力は岩をも通す」と書かれている。最高に共感する。自分は「圧倒的努力をしているのか」と考えさせられるとともに、圧倒される著書だった。