KONYのオーストラリアワイン見聞記その2「第一日目・香港へ飛ぶ」 |
僕は、この日の朝方まで、月末の処理を完成させ、指示書を書き終えた。零細企業の社長業は、一人でこなさなければならぬ仕事がなんて多いことかと改めて実感する。10日間会社を空けるため、その段取りが必要なのだ。しかし、現在のIT社会では、メール、フェイスブックなどで、世界中どこにいようが、コミュニケーションができる。今回も、現地で仕事するためにi-padを持ち込むことにした。
10時30分の秋田新幹線こまち号に「大曲駅」から乗り込む。新幹線の中では、ひたすら寝込むことに決めた。なにせ、仕事や準備やらで、睡眠は3時間弱だったからだ。午後1時頃、腹が減って目が覚めた。「仙台牛タン弁当」ではなく「前沢牛弁当」をワゴン販売で購入し、日本での最後の食事を豪華駅弁で腹を満たす。
午後4時40分、成田空港国際線第二ターミナルキャセイ・パシフィック航空カウンター前に集合。ワインオーストラリアの大津さん、東澤さん、麗子さんが到着していた。そこに、田嶋さんが、半袖、短パン姿で、しかも小さいスーツケースで現れた。「風呂に行くんですか?」とか「国内温泉旅行ですか?」と馬鹿にされる。田嶋さん、いわく「香港、暑いですから」と涼しい顔。最後にサングラス姿の尾崎さんが登場し、全員集合となる。尾崎さんは、財布を忘れてきたらしい。カードはあるから、世界中で対処できる。NO PROBLEMだ。おもしろい面々である。
出発前、バーカウンターでビール乾杯となった。エビス・ビールバーで、これからのツアーの安全を祈願して乾杯となる。僕は、ハーフ&ハーフをオーダー。今回のツアーでは、すべての節目の乾杯は、なぜかビールでの乾杯だった。そりゃあ、そうだろ、ツアー中、あれほどの数のワインをテイスティングし、完全ワイン漬けになっていたから、ビールを飲むとほっとし、解放されたのかもしれぬ。
いよいよ、オーストラリアワイン「新しい発見の旅」が始まると思うと、ウキウキする。僕にとって、オーストラリアは、観光での訪問しかなく、今回が初めてのワイナリー訪問となるから、緊張感と高揚感が高まる。
18時20分CX505便が香港へ向けて、飛び立った。機内では、食事に合わせ、白ワインを選択。南アフリカのシュナン・ブランだった。おもしろいぜ、キャセイ・パシフィック!
香港とは、時差一時間。5時間のフライトで、現地時間22:05分到着。東南アジア独特のむっとする蒸し暑さが、襲う。現地の温度は、夜ではあるが26度を超えていた。香港は、1997年7月1日に中国にイギリスより返還されたが、イギリス政府最後のご奉公が、この香港国際空港をわずか6年間で建築したことだ。予定より1年遅れで、広大な面積を持ち、24時間フル稼働の国際ハブ空港を1998年6月に完成させる。なによりもすごいことは、空港と高速道路、電車がダイレクトリンクされており、アクセスの良さには、驚かされた。
僕の知っていた、あの街中をスレスレに飛んだスリリングな「香港・啓徳空港」は、その役目を終えていた。香港国際空港は、乗降者数年間5,000万人を超え、2001年以降世界NO.1空港に8回輝く、世界最高の空港のひとつである。そしてなんと、あのギネスブックが「世界で最も高価な空港」(200億ドルの巨費を投入)と認定しているほどの豪華さである。その広大さと賑やかさは、日本の空港事情の貧弱さを物語る。いまでは、国際ハブ空港として、韓国の仁川国際空港、シンガポールのチャンギ国際空港とともに世界三大空港にランクされている。成田、羽田は、いうに及ばず、閑散としている。空港内テナントが苦戦しているとの話も理解できる。
すっかり、ワイン事情の見聞記が、空港事情の見聞記に脱線してしまったが、香港国際空港のことは、書かずにはいられないほどの素晴らしい一大国家プロジェクトだったからだ。ともかく、計画から着工までわずか6年と超スピード感と一気に巨額資金を投入できることだ。ま、絶対日本政府にはできないことだ。
話を、ツアーに戻す。香港・九龍半島・尖沙咀(チムサーチョイ)のまさに先端に位置し、ヴィクトリア湾のフェリー乗り場まで徒歩5分という立地のホテル「Citadines Ashley HONG KONG」(あの有名なネイザンロードの一本裏側)にチェックインしたのは、午後11時過ぎ。もちろん、僕らは香港の夜を満喫するため、ホテル向かいのワインバー「INTIME」に入る。ボルドー中心の品揃えは、お見事だったが、僕らはここでもなぜか、中国に敬意を表し「青島麦酒」(チンタオビール)で乾杯。モンスーン気候に適した軽めのビールが、とても心地よかった。
ものすごく長ーい一日(5月28日)だった。こうして、僕らの旅が始まった。
(To be continued)