YEGの仲間、新田秀悦クンからのメール |
メールの最後の言葉に、経営者としての自覚と意欲を感ずる。「私は、必ず復活します。必ず」と。
経営者としてやるべきことを、心得ているメールだった。
僕は、すかさず彼にメール返信し、「ガンバレ!新田!僕も負けずにがんばります!」とエールを送った。一緒に励みになる仲間がいる。これこそ、YEGを一生懸命に取り組んできたからこそ、同志=仲間ができたものと信じている。
有事の時に頼りになるのは、有形財産より無形財産である。彼も、だからめげずに頑張れたという。お互い一緒にがんばっていきたいと思う。
新田秀悦クンのメールを全文紹介する。
(ここから)
「お元気ですか。私は元気です。」
3月11日のあの日から、夢の中をもがき、進んでいるみたいです。何度となく、夢ならば、と思ったことか。しかし、これは、まぎれもなく現実です。私は、仙台YEGに所属しておりますが、実家と会社は、宮城県石巻市にあります。今回の震災で、地震そして津波の被害を受けました。震災後三日間、水没した実家と会社に近付けず、妻と両親そして大事な社員を水没した社屋に取り残されていました。近づけず、安否の確認もできずに、助け出すこともできずに、途方に暮れた、三日間でした。被災し大切な方を沢山亡くされた方にはすみませんが、私の家族、社員そして社員の家族も一人も欠かすことなく、救う事が出来ました。津波に流されたり、車ごとひっくり返されたり、家ごと流されたりと、話を聞くと、危機一髪というか、運が良かったとしかいいようがない状態で、助かった家族・社員でした。
私の商売は、建設業、運送業、保険代理業、インターネットカフェなど、他種目に営業をさせてもらっていました。そのすべての業種で、大打撃を受けました。運送業に至っては、車両台数の半数近くの20台ものトレーラーを無くし、新規オープンしたお店は、全壊しました。被災した次の日から、地域の建設業として、ボランティアで、復旧活動をしておりましたが、何せ、社員の家が流され、核となる社員が集まらず、その上燃料がなく、思うように動く事が出来ずに、歯がゆい思いをしました。
そして、200人もの社員を持つ経営者として、取引先も被害受け、お取引先の工場が地震津波により壊され、このままでは経営を続けられるのだろうかと、不安に襲われました。私の頭の中には、自分のこと、家族のこと、社員の事、社員の家族のこと、これからの会社経営のこと、資金繰りの事と次から次へと、解決することが出来ないのではないだろうかという事が、津波のように襲いかかってきました。「明けない夜はない。」「神様は、試練を乗り越えられる人にしか与えない。」などと言われましたが、なんの慰めにもなりませんでした。
そんな時、私には、泣き言を聞いてくれる仲間がいました。震災後すぐに遠く関東から、笑顔で、「頑張れよ」と駆けつけてくれた、仲間がいました。東北各地、全国から救援物資をもってきてくれた仲間がいました。自分のことしか考えられなかったときに、遠く関東より、炊き出しに来てくれた仲間がいました。一緒に炊き出しをして、笑いながら、炊き出しをして「元気」をもらいました。一人じゃない、いままで、やってきたことが、間違ってなかったとこの時、確信しました。この震災が、確信をさせてくれました。YEG活動を一生懸命やってよかったと確信しました。津波のあとの事務所に入った時、私が大事にしていた、YEGの書類・雑誌・新聞記事、私のYEGのすべての記録が、ずぶ濡れになり、出てきました。その時、私は、すべて、心に納め、濡れた全ての記録を捨てました。YEG活動の思いでは、心に覚えさせ、記録より、こんなに素敵な仲間が出来たことに、感謝して、「心の中の思い出」と「YEG仲間」があれば、それで十分だと思いました。
道路一本、道を隔てて、かろうじて、私の実家と会社は、水没はしましたが、残りました。流されたり、壊されたり、焼けてしまった人たちに比べれば、私たちは、すごく良かった方だったと思っています。
いまは、会社で、家を流された社員たちと生活をしています。約30人の社員と事務所の二階で寝お起きをしています。いつまで、続くのか、石巻は、まだ、行方不明者の捜索やがれきの撤去をやっており、やっと仮設住宅の着工が始まりました。しかし、被災し家を無くした人たちが、仮設住宅に入れるまでにはまだまだ、時間がかかると思います。確かな情報が私には、ないため、あまりに、軽率な発言は、しませんが、これからが大変かと思います。
この震災で、たくさんのYEGの仲間から救援物資を頂き、東北ブロックYEGの会長として、動かなければならない立場でしたが、自分の事が精一杯で、安田直前会長と及川次年度会長にすっかり、頼り切ってしまいました。何も、出来なかったブロック会長として、大変申し訳なく思っております。安田直前会長と及川次年度会長には、感謝申し上げます。
最後に、平成22年度東北ブロック商工会議所青年部会長として、皆さんに、最後のエールを被災地石巻から送りたいと思います。
今回の地震津波は、東北地方の沿岸地域だけが、被害を受けているのではないと思っています。被害の大小は、あるでしょうが、日本全国全ての人が、被害を受けていると思います。私だけが大変だとか、私の地域は被害が大きかったと言っても、はじまりません。家を流された人、大切なひとを亡くした人、水没した家を復旧している人、福島原発の関連や東北地方の関連工場と取引をしていて物が入らなくなり営業に支障をきたしている人、日本全国自粛ムードで、いろいろなキャンセルが発生していて営業をきたしている人など、言えばきりがないくらい、影響が大きいと思います。最大の被災地にいる私だからこそ、言えることがあると思っています。今回の地震そして津波によって、被害を直接的に間接的に受けた人は、大なり小なり全ておなじ、苦しみ・悩みを抱えていると思います。
いま、我々YEGがやらなければ、ならないことは、自分の商売をしっかり経営していくことだと思います。
私は、常々、「私たちは、自分の会社の売上を上げ、利益を出し、税金を支払う。その税金が公共に使われる。また、地元から社員を雇い、雇用を発生させる。そして、自分の会社を成長させ、継続させて行く。このことが我々のしなければならないこと、一番の地域貢献だと思う。」と言い続けてきました。いま、この時こそ、会社をしっかり経営していくことが、私達の役目ではないでしょうか。確かに、今回の震災で大ダメージを受けている会社がたくさんあると思います。一時は、小さくなることも必要かもしれませんが、みんなで、助け合って、会社経営を続けましょう。YEGの仲間から、廃業者を出さないように、頑張りましょう。こんなことを言っている私でさえ、会社を一時、縮小しようと思っていますが、必ず、復活させてみせます。恥ずかしがらずに、苦しいときは、YEGの仲間に相談していきましょう。
会社をしっかりと経営していけば、街は、必ず、復活します。雇用を発生させれば、街に活気が戻るはずです。それを出来るのは、私達、青年経営者です。確かに、今回の震災は、悪夢のような出来事でしたが、でも、考えようによっては、こんなチャンスは、ないと思います。私たちが、活気ある街・活気ある地方・活気ある日本を創るチャンスを握っているのだと思いましょう。嘆いていてもしょうがない。「思いは叶う。」「私達の手で、活気ある街を創りましょう。」
私が、あなたが、あきらめなければ、必ず、夢・目標は叶えられます。
私と一緒に、「思いを叶えましょう。」
追伸・仙台YEGのみなさん
思う存分活動させてもらいました。仙台YEG最高。
私は卒業です。あとは、よろしくお願いします。ありがとうございました。
東北ブロックYEGのみなさん
一年間ブロック活動ありがとうございました。
日本YEGのみなさん
楽しい日本出向でした。全国各地の皆さんありがとうございました。
ありがとう。皆さんに感謝します。私は、必ず、復活します。必ず。
(ここまで)
新田クンの熱き思いが、胸に突き刺さる。志の高き人だと敬意を表する。
僕も負けていられない。新田クン、メッセージありがとう!