早朝の野球「年代野球」昭和38年会に雪辱! |
今日は、ブログ3本をお届けしたい。
その1は、「年代会野球」、その2は、秋田朝日放送の特番「輝石の詩-夜空のアーティスト」の感想、その3は、昨晩主催した「コート・デュ・ローヌ」セミナー報告である。
年代会野球は、昨年より「昭和っ子野球」廃止に伴って、野球好き有志が音頭をとって復活した年代会対抗の友好野球大会である。
今回も、僕ら昭和34年会チームは参加する。最年長のチームである。今回、僕らのブロックは3チーム。38年、41年である。35、36、37、39、40年が不参加で盛り上がりに欠けるが、僕らの代は、自分らが楽しめればそれでいいというスタンスであるため、前日声掛けしても集まってくる。野球好きが多いのだ。
今回も前回の対戦相手昭和38年との対戦となった。
今回のオーダーは次の通り
1番 藤井(6)
2番 小西(9)
3番 武田(5)
4番 山信田(1)
5番 佐藤(7)
6番 沢屋(3)
7番 佐々木(4)
8番 池田(8)
9番 山信田(2)
今回は、突然斉藤勉クンが目に腫れができたことで、エース山信田クンの息子中学校3年生をメンバーに起用。夢の「親子バッテリー」を組んでいただいた。彼(息子)は、小学校の頃からずっと父親と一緒に、僕らの「昭和っ子」野球に付いてきており、親子でキャッチボールをやっている姿は、微笑ましいものだった。この親にしてこの子ありの「野球親子」だった。息子は小学校、中学校で脚光を浴びる野球選手となり、今年の全県春季野球大会で大曲中学校を全県優勝に導いた主将であった。捕手で4番を任されている。夏の大会は、優勝候補の筆頭ではあったが、惜しくも初戦よもやの敗戦となった。しかし、将来嘱望されるセンスのいいプレイヤーとして注目されている。父も大曲中学校野球部父兄会会長として、息子の活躍を見守ってきた。今日は、父の投球を見に来たという。僕らにとっても、斉藤勉クンが来れなくなり、彼に白羽の矢を立てた。楽しむ野球だからこそ、相手も了解してくれ、夢の「親子バッテリー」が組めた。
試合は、先行の僕らが2点先制。2点目は僕が2塁からクロスプレーではあったが、フェイントをしてヘッドスライディングで手でホームベースにタッチして生還した。自画自賛のプレーであった。
その後、2回裏に追いつかれ、2-2の同点で迎えた3回。2、3塁にランナーを置き、沢屋校長が、2点タイムリーヒットを放ち突き放す。勢いに乗り、連打が続きこの回7点のビックイニングに。僕も3打席目でもポテンヒットを放ち、盗塁、さらにはヒットでの生還と走った試合だった。
ゲームは、9対3で僕ら昭和34年会の勝利だった。前回敗れた昭和38年会に雪辱を果たした。
今日の最優秀殊勲賞は、決勝タイムリーを放った沢屋校長。しかし、モースト・インプレッション・プライズ(MIP)は、山信田親子のバッテリーだろう。
いい汗を流した楽しいひと時だった。決勝は、41年会とのゲームだったが、佐藤君が10時20分にお客様との商談があるとのことで、決勝は棄権。38年チームにはご迷惑をおかけした。
年代会野球は、春、秋の2回開催である。僕らの会は欠かさず参加し、年代会の絆を深化させていきたい。次回は、焼肉・ビールをセットして試合終了後懇親会を野球場で企画したいものだ。