中島啓江チャリティコンサート |
本日、国際ソロプチミスト大曲主催、大仙市共催で、オペラ歌手「中島啓江」さんのチャリティーコンサートがあった。国際ソロプチミスト大曲の会員の団結の強さとネットワークの広さが、 1000人を超えるお客様を集めた。さすがである。
2ヶ月前、僕が東京出張の際、同じ電車に、国際ソロプチミストの会員の方々が乗車していた。東京での「中島啓江コンサート」視察と打ち合わせのためらしい。気合と誠意を感じた。
その後、市内にはポスターが貼られ、会員の皆様がチケットを売りさばく姿を各地で見かけた。
僕も、「つじや」の奥様が、3月のYEG例会で、このコンサートをプレゼンティーションに来られ時に、せっかくいらっしゃっているのだからと2枚購入した。
我が家では、4枚購入し、家族でこのコンサートに出かけた。こうした国際ソロプチミスト大曲会員のがんばりの下に、このコンサートが成り立っている。いい機会を与えていただいたとに感謝である。
幕が開き、ステージ上の中島啓江さんが現れる。大きい!とても大きい。
実に存在感のある女性だった。
第1部は、日本の歌から8曲。
1、夢で逢いましょう 2、故郷(ふるさと) 3、母さんの歌 4、この街で 5、童神(沖縄シリーズ)
6、花(沖縄シリーズ) 7、涙そうそう(沖縄シリーズ) 8、千の風になって
とにかく、「語り」がすばらしい。「故郷を誇りにもとう。」「方言を大切に。」「母の教えや愛情。」「笑顔の大切さ。」などまさに子供たちにとっては、教育的コンサートになったことだろう。
中島啓江さんは、会場とのふれあいを大切にし、観衆を巻き込み、一緒に歌わせたりする。僕の隣に座った、年配の奥様は、第1曲目から、ハンカチで涙をぬぐっていた。故郷では、涙声で一緒に歌っていたし、3曲目の母さんの歌では、鼻まですすって涙、涙で泣いていた。
5年くらい前の僕であったら、この手のコンサートは苦手で、はじめからパスか、そういうシーンを見るや、一瞬にしてテンションが下がるタイプだった。しかし、中島啓江の「語り」のうまさと「歌」のうまさが、その手が苦手な僕さえ、引きづり込まれた。特に、ジャズバージョンで披露した「花」やゆったりとした歌い方から入った「涙そうそう」は、感心した。台湾花火のテーマソングでもあった「花」は、あの花火のシーンがよぎるモノだった。人それぞれに、思い入れがあるのだ。
第2部は、オペラ歌手中島啓江を大いにアピールした楽しい時間だった。僕は、断然こちらの方が良かった。第2部では、青の衣装から、ゴージャスな黒のラメ入りドレスに衣装替えしての登場だった。また、舞台照明まで、シックに変えて、アクセントをつけた。
9、アヴェ・マリア 10、トゥーランドット「誰も寝てはならぬ」 11、O sole mio(オーソレミオ/カンツォーネ)
12、サマータイム 13、ララルー 14、星に願いを 15、アメイジング・グレイス
中島啓江の実力を魅せてくれた第2部だった。イタリア・トリノ・オリンピックの荒川静香の金メダルで、超有名になったプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」は、ソプラノの彼女が、声を太くして歌う。オペラ曲は、すべてマイクなしで。聴かせてくれました。
次のオーソレミオでは、会場に降りて、楽しく熱唱。イタリア民謡ならではの、陽気さだった。まさに「私の太陽」である。ガーシュンのオペラ曲「サマー・タイム」から、アメリカバージョンへ。
「ララルー」「星に願いを」といったディズニー音楽と続き、最後はゴスペル音楽の名曲「アメイジング・グレース」
「アメイジング・グレイス」では、中島啓江が、黒人歌手のサラ・ボーンに見えるほど、ゴスペル調に見事に歌いこなした圧巻の舞台だった。
アンコールは、また日本の歌に戻り、「見上げてごらん、夜の星を」という坂本九の歌で締めくくった。
この日、5月16日。僕の祖父小西徳次郎が、1985年5月16日、76歳の生涯を終えた命日であった。そして、カネトク創業者でもある小西徳次郎の、生誕100周年の年でもある。アンコールの「見上げてごらん、夜の星を」を聞きながら、今は亡き祖父と祖母のことを思い出し、少し感傷的になった。