忌野清志郎の二日間の深夜の「追悼番組」 |
深夜の忌野清志郎の「追悼番組」、NHK総合での「SONGS 忌野清志郎 完全版」を見て、完全にテンションが高まり、その番組終了後、眠れなかったからだ。実際寝たのは、午前4時頃だろう。
昨日は、僕にとって「小沢代表の辞任」などどうでもよかった。なんとしても、午前0時45分から、始まる番組まで、起きるていることが、優先だった。朝5時起きに生活スタイルを変えてから、午後11時には、基本的に寝ていたが、この2日間は、「清志郎」のラスト映像を目に焼き付けたかった。
まずは、初日の「愛しあってるかい?-キング オブ ロック忌野清志郎」は、デビュー当時の1970年代からの屋外ライブ映像や日本武道館での復活ライブまでの総編集編だった。特にRCセクセション時代の、ロッカー清志郎を中心にシャウトする若き頃の清志郎の躍動感や詩に込められた世の中へのアイロニーなど強力に伝わってきた。そして盟友「チャボ」こと仲井戸麗市の天才的ともいえるストリングスの確かさと清志郎への熱き信頼や友情がひしひしと伝わる。特に2000年スーパーライブでの「わかっていてくれる」(1980)で、RC
解散後でも、「チャボへの信頼は、絶大で変わらないぜ」といった暗黙のメッセージが伝たわってきた。どの曲も、輝いていた。
忌野清志郎が、インタビューに対し「夢」を語っていた。
「夢を信じて、実現のために努力する。その夢のために努力している時が、一番楽しい!」と。
そして、若者へのメッセージとして、
「大人のほうが、もっとおもしろい!だから、今一生懸命に、夢を持って頑張って欲しい」
と、今頑張るのは、これからのためだぜと、だから夢を持てと。
泣ける言葉だった。「夢の実現のために、努力している時が、一番楽しい!」
まさに、人生を達観した名言である。
そして、名曲「スローバラード」でもラストナンバー「JUMP」でも「愛しあっているかい?」を連発。
「愛」とは、「ロック」とは、「バラード」とは、を教えてくれた、清志郎が、まぶしかった。
そして2日目の「SONGS 忌野清志郎 完全版」は、昨年2008年1月16日、病から復活後の初めてファンの前に、姿を現したスタジオライブで、その完全編集版でもある。その20日後に、伝説の日本武道館「完全復活祭」が行われた。スタジオライブでの、オープニングは、昨年放送されなかったリハーサルの未公開映像から始まった。
そのシチュエーションが四角いステージを四方八方ファンが囲む。これは、清志郎によると、エルビス・プレスリーが、軍隊から復活した時のTVショーにまねて、ステージを四方八方ファンが囲むスタイルを実現させたらしい。愛すべき男、清志郎らしい。
リハーサル映像から、ノリノリだった。「ダンスミュージック☆あいつ」でのファンとのやりとりが初めて公開されたが、彼には「手抜き」という言葉がみあたらない。そして、「これは、リハーサルだぜ、だけどみんなー、ノリノリだぜ、ベイベー」とやって、さらに煽る。
本番の1曲目は、あの「雨上がりの夜空に」で、「帰ってきたぜ、ベイベー!」とやって、スタジオを最高潮にもっていく。清志郎もすごい汗だ。
そして、2曲目は、「スローバラード」で、会場をクールダウンさせ、じっくりとバラードを聴かせる巧さ。
♪二人で毛布にくるまって カーラジオからスローバラード 夜霧が窓をつつんで
静らせて たちあがり 上着を脱ぐ
と熱唱すると、さらに会場は、聞きほれ静まり返る。
3曲目は、2006年のヒットソング「毎日がブランニューデイ」。これは、前向きな歌で、「毎日が新しい」し、しあわせと歌う。
好きなフレーズは、「きみの笑顔を見ると 100%以上のしあわせ」というくだりだ。「笑顔」は、人生明るくする。
そして、「[誇り高く生きよう」「JUMP」と続く。
そしてアンコールが、あの坂本九の名曲「上を向いて歩こう」だった。
「E気持ち」がくるぞと思わせて、変調し「上を向いて歩こう」にいく。この曲も、清志郎流にロックにワンオクターブ高くアレンジされており、坂本九のイメージはなく、実に明るい8ビートだ。
誰もが、清志郎完全復活を喜んだ。歌手の生命線である「喉」のガンを切除だけは、拒否し続けた。
生涯ロックスターの道を選択した。しかし、その一年後、骨にがん細胞が移転し、帰らぬ人となった。
しかし、彼の生き様や音楽、そしてそのメッセージは、永久に人々の心の中に生きている。
僕は、その「魂」あふれる、忌野清志郎の番組を見たあと、眠れるはずがなかった。あのシャウトの声がなんども聞こえたような気がした。