12月31日陸前高田で追悼・鎮魂の「除夜の花火」 |
現在は、年末年始恒例の高品質ボルドー・フェア開催中と好調さにさらに追い風が吹く。さらに、昨晩でほぼ「初売」の準備もほぼ完了。明日午後から袋詰めするだけだ。久々に段取りのよい年末年始を迎えようとしている。
残すは、年賀状書きだけだ。個人のモノは、手間暇のかかるパソコン作成を今年はやめ、こちらで構成・文章を考え、印刷会社に仕上げしていただいた。だから、写真はすごくきれいである。やはり、プロに任せるべきだと、認識した。つまり、「時間を買う」ということだ。
明日は大晦日、歳末大市の最終日。朝8時開店、夜6時30分閉店となる。今年最後の大奉仕セールとなる。今年一年の締めくくりで、気合が入る。
大晦日の歳末セール閉店後、弟家族が帰省しているというのに、僕はカメラマンの後藤芳次さんと陸前高田に向かう。ホスピタリティもない兄貴である。が、十分わかっていただけるものと思う。
12月31日、陸前高田で午後11時から追悼・鎮魂そして再生・復興を誓う花火が打ち上がるからだ。この花火の打上げは、大曲花火共同組合(小松煙火工業、北日本花火興業、大曲花火化学工業、和火屋)が担当する。
この企画を考えたのが、チーム・クレッシェンドという「被災地・陸前高田に元気を届けたいと願うグループ」である。その合同代表者の松田さん(ソムリエ仲間)と本間さんから、7月上旬に僕のところに連絡が入る。「陸前高田で、花火を打ち上げ元気づけたい」と。そして「大曲の花火を上げて欲しい」と。そこで、この話を小松忠信さんに伝える。
彼らは、7月下旬大曲へ。大曲商工会議所副会頭である小松煙火工業の小松忠信さんと僕と一緒に話を伺った。「大曲の花火」を指名していただけただけでも、ありがたいことだ。
当初10月に行いたいとの申し出だったが、12月開催に延期になった。その延期の理由は、震災の影響で例年通りの新年を迎えることが精神的にも物理的にも困難な方々が大勢存在するという事実。本来楽しいはずのクリスマスやお正月が、経済的にも大きな負担になるであろうことを想定した上で、寒さの中孤独に震えるよりも、みんなで一堂に会し、力を合わせて苦境を乗り切り、新年を希望を持って迎えたい。そんな想いから、当初の予定を拡大し、年末から新年にかけて、様々な年越しイベントと並行し、12月31日大晦日に希望と再生の花火を空に打ち上げるものだ。
11月26日には、小松忠信さんと一緒に陸前高田へ。場所を視察する。打ち上げ場所は、以前堤防だったところだ。津波は、松原を流し、堤防も破壊した。堤防沿いにあった家々は全て被害に遭い、11月伺ったときには、何もないただただ広い敷地しか残っていなかった。
多くの人たちが、高台の仮設住宅へと移って暮らしている。
だからこそ、チーム・クレッシェンドは、地元の名士田村満さんを巻き込み、年末年始に明るい希望と元気を与えたいと意気込み、様々な活動を展開していった。こうしたボランティアの力は、被災者の住民を元気づける。協賛企業も彼らの「思い」に心が動く。
12月24日には、サンタクロースに扮し、クリスマスケーキやシャンパンを仮設住宅の世帯に届け、喜ばれた。大晦日には「ワタミ」提供でおせちを仮設住宅に配ったりする活動を行なう。
そして、明日大晦日の夜には、花火で希望の光を灯す。スポンサー集めは、東京の本間さんを中心とするグループが頑張った。
今回は、当初午後11時30分からのスタートの予定だったが、陸前高田の寺院から「今年の除夜の鐘は、特別なもの。静寂の中に聞かせたい」との要望もあり、午後11時から30分間の打ち上げに変更する。
それでも、大曲の花火師たちは、「鎮魂、再生、立志を誓う花火」に協力したいとすべての会社の代表者が陸前高田に顔を揃える。彼らは、「花火の力」で元気になってもらいたいとの思いがある。この花火には、大曲商工会議所、大仙市も後援で名を連ねる。ありがたいことである。
明日は、こうした「思い」をプロの花火カメラマン後藤芳次さんに、撮影していただく。後藤さんからもご協力いただいた。ありがたいことだ。
僕の2011年の大晦日は、チーム・クレッシェンドの松田さんや本間さんとの縁で、被災地・陸前高田で迎えることになる。2011年らしい終わり方なのかもしれない。
その足で、僕は秋田・新政へと向かい、「元旦しぼりたて純米生酒原酒」を引き取りに行く。そして、弊社の元旦「初売」で多くのお客様を迎える。今年の締めくくり、来年の始まりは、移動につぐ移動なのだ。まさに、昨年の1月1日に詠んだ俳句「来る年も 脱兎のごとく 飛び跳ねる」のとおりだ。