神岡南外花火大会の情緒 |
あまり混まずに、ゆっくりと見れる花火大会であり、この大会ならではのシチュエーションや情緒を感じることが出来る。神宮寺嶽に反射する「音」。進行役の斎藤さんの独特の「節回し」。7号、8号の「大きさ」。特別番組の「豪華さ」。街中に連なる「屋台」。こうした要素が、この大会を楽しみな大会へと誘う。
だから、東京や仙台からも多くの花火ファンを誘引する。多くの花火鑑賞士やカメラマンの方とも出会った。うれしいことでもある。わざわざ、お店に立ち寄ってくださった方も多く、出張をお詫びしたい。ありがたいことである。
今年も、二社による花火競演を堪能できた。ただ、栗林大仙市市長挨拶の中でも「今日は、風がないといった贅沢なことは、言わないでください」と語り、観衆から笑いを引き出したが、「風が無く、煙が滞留する」状況であった。これは、しょうがないことであり、「煙の風情」なのである。見えづらい状況の中でも、五感を働かせて、想像しながら花火を観覧していく。すると、展開が見えてくるわけだ。
多くの花火大会において「花火に煙はつき物である」と考えるのが筋であろう。毎年、神風ばかり吹いているわけではない。クリアに見えるのは、本当に10年に一度か二度くらいだろう。雨が降らないだけでもOKと考えたい。
宮原組の「ジャンボ超特大創造花火」は、和火屋らしいカラフルな牡丹が炸裂し、「歓喜の歌」よろしく高揚感あふれる鮮明な色使いが見事なワイドスターマインだった。
フィナーレ花火(千秋楽)の東北醤油提供の「超特大花火ファンタジアスペシャル~星になったあの人へ~」は、ストーリー仕立ての構成で、展開やシーンが考え抜かれている。北日本花火興業ならではの展開だった。しかし、滞留する煙の中での花火であり、少し残念だった。これも花火の世界ではよくあること。煙の中で光輝する星を見ながら、「煙がなければ…」とつぶやく。これまた、花火の一つの風情であり情緒なのかもしれぬ。