勤勉な高校生が増えている? |
秋田県立高校の入学式は、あさっての4月6日。新たな夢と希望を持った新入生が待ちに待った入学式を迎える。晴れて高校ご入学おめでとう!
今年の新入生は、高校受験後の3月11日の東日本大震災以降、卒業式や合格発表も延期になり、祝賀会など中止となった。身を持って、「震災」から多くのことを学んだものと思う。
日本人として、心の痛みがわかる、心配りのできる人に育っていただきたい。
僕らの頃と比べ、近年の高校生は、勤勉で礼儀正しい子が多いと思う。時代が不景気となり、親に迷惑掛けられないと自覚しているからだという学者もいる。
今年の高校新入生は、1995年の阪神大震災を知らない1996年生まれだ。日本経済は、1991年にバブルが崩壊。マイナス成長のかつて経験したことがない時代が始まった。1997年から金融危機に陥る。「失われた10年」と叫ばれた時代である。
さらに2000年代に入っても、デフレ、低金利、さらにはITバブル崩壊。そして2008年リーマンショックが世界を駆け抜け、就職氷河期が到来した。日本の経済学者は、「失われた20年」と強調し始めた。
1980年代日本人は、今の中国人のように世界を圧巻していた。世界の経済の頂点に立ち、自信満々だった。満ち足りていた時代は、学校教育も最も荒れていた。詰め込み教育の弊害とばかり、文科省は「ゆとり教育」へと舵を切った
その結果、日本の教育は、世界のトップクラスから落ち、学力も意欲も停滞した結果を生み出した。今、再度てこ入れし、義務教育や高校教育も「多く勉強しよう」という方向へと変換した。
秋田県は、教育現場の努力、少人数制クラスの導入の成果もあり、義務教育課程では全国トップの学力を維持するようになる。落ちこぼれの生徒が少なくなった結果だ。
実際、小学生、中学生、高校生ともよく勉強するようになったと思う。勤勉な生徒が増えたと思う。うれしいことだと思う。その背景が、不確かな時代であり、不景気な時代だとしたら、少し残念なことでもある。「勉強せざる負えない」時代なのかもしれない。
大学生の就職率の低下は、大学院進学や留年生を増加させた。その結果、さらなる晩婚、独身者を増やす要因にもなっている。
今回の大震災は、子供達に「生きるということ」という大きな命題を与え、考えさせたと思う。ただ、勉強だけできてもダメだということを。
東急電鉄創始者の五島慶太氏の「生きるために、何が必要か」という問いに明確に答えた言葉がある。
「人間は知や行だけではダメである。そこには必ずだれにも負けないという信念が必要だ」と説いている。
人間、困難や災難に遭遇したときこそ、本領が発揮できるかどうかが問われる。五島慶太氏は「こういうときこそ、人間の日頃の訓練とか修養とかがハッキリと出てくるものだ」と自伝の中で語っている。
「生きるということ」を深く考え、日頃の精進を積んでいかなければならないということだ。
そのために、一生懸命勉強し、一生懸命に汗を流すことだ。そこから「信念」という概念が生まれてくる。
このことは、高校生だけでなく、もちろん大人の僕らにも当てはまることだ。