大曲昭和45年会「梵天」並びに「恵比寿俵」披露 |
今日、「大曲昭和45年会」(高柳智史会長)一行が弊社に「梵天」並びに「恵比寿俵」披露巡行してきた。
相当に気合が入っており、口上や唄からも緊張感と高揚感が伝わってきた。彼らは、声高らかに、三番まで「梵天唄」を謳いあげてくれた。感極まるものがあった。
一生懸命さが伝わってくるからだ。だから、彼らを温かく迎え入れ、お祝いを渡し、ワインやチーズ、生ハムを振舞い、エールを送りたくなる。
それは、僕自身も2000年に「大曲昭和34年会」の会長として、梵天事業をやり遂げたからに他ならない。
大曲地区に代々受け継がれる「大曲の梵天」は、大曲中学校の同期生が、「男子四十二歳の厄祓い」として組織・運営される事業である。この事業は、数年前から企画され、結束を図り運営されていく。いわば、その同期会(年代会)にとっては、一大事業である。
なぜか。それは「本気の梵天事業」だからだ。
全てが、諏訪神社奉納のための「神事」である。梵天着手の儀から始まるのである。二代上の先輩年代会、さらに一級下の後輩年代会の幹部は、必ず参加する義務がある。このように、目上の先輩年代会に敬意を払い、後輩年代会には指導していくという慣わしがある。
梵天制作から始まるわけだが、梵天の心棒の杉の木の切り出しから始まる。実際山に入り、チェインソーで自らが木を切り倒す。木を数ヶ月かけて乾かし、削っていく。最後は、やすりをかけて磨き上げる
梵天制作部長は、同期生の大工の棟梁がつとめるのが一般的だ。連日連夜、同級生が集まり、梵天つくりに励んでいく。梵天の生地選び、飾りのデザインもすべて自分たちで行う。女性部も縫い子として全面協力をしてくれたり、ご飯仕度をしてくれたり、男子四十二歳を立ててくれる役割を担う。同期年代会の威信にかけて、誇れる見事な「梵天」を完成させていく。
半纏もオリジナル性の高い自分の学年のデザインを施し、特注する。提灯もその年代会のものを特注する。そして手板は、棟梁を中心に、自らが制作する。
すべてを年代会でオリジナリティ豊かに数ヶ月かけて作り上げていく。だから自らの年代会の「梵天」には、深い思い入れと愛着があるのだ。梵天制作の間、「梵天唄」の練習も同時に行われる。自然と梵天唄も覚えていくのだ。
各年代会にとっては、自分たちの梵天が常に一番なのだ。それでいいのだ。その自分たちの自慢の梵天披露は、誇らしげで晴れ晴れとしている。
「大曲の梵天事業」は、大きな意味を持つ。
諏訪神社の名代として自らが地域の伝統行事を誇りを持って運営することで、これからの地域の担い手として自覚を植えつける。
自分たちの手で完成させた「梵天」を、2ヶ月かけてお世話になった家族や会社・地域の方々へお披露目巡行することで、今までの感謝の気持ちを示し、これからも変わらぬ支援・親交を誓う。
数年にわたる「四十二歳厄祓い」事業を通し、残りの人生を共に仲良く歩む同級生との「絆」、「友情」、「信頼」を確認、再構築する。
だからこそ、大曲では、梵天を無事奉納して、ようやく一人前の男として認められる。奉納の瞬間、誰からとなく抱き合い、涙を流す。ものすごい達成感があるからだ。
一緒にがんばってきた仲間は、四十二歳厄祓い後の人生における「宝物」となる。大曲の年代会は、強い絆で結ばれている所以が、この事業運営にある。
「大曲昭和45年会」の梵天お披露目巡行を接遇して、彼らに頼もしさを感じた。2月26日の奉納まで無事に役割を果たして欲しい。そして元気に勇敢に取り組んで欲しいと願う。
ただ、老婆心で注文をひとつ。せっかくの梵天披露、梵天を雪や雨から守るビニールシートは少しいただけない。梵天は、飾り物ではないのだ。雨や雪に濡れても絵になるのだから。